Stap事件ー無神経なスクープ競争のマスメディア ・・・・NHKだけはやるな!!デマや捏造の報道を平気で拡散!!

「知りたい」「話したい」「話題に乗り遅れない」という知的欲求は誰しも持っていることだ。博識であることはコミュニケーションの武器である。社交の場では得た知識に少々知的な私見を品よく付け加えれば、「なるほど、こいつはできるやつだ」と思われる。

 そこに情報源の役割が重大である。テレビ、新聞、週刊誌等の雑誌、話題の書物、それに加えてネットメディア等の記事を話題にするのが日常生活の楽しみである。サラリーマンなどは仕事の話題を上手く進めるためにも、常識として不断にメディアの情報を知っておけば、気持ちよく話が進んで仕事も順調という場合もあるだろう。

 我々はそうした日常生活で、メディアの中でも真面目に知識として受け入れてもよい情報源とバカ話程度の情報源のランク分けを経験や人づてに行っている。また、右か左の偏向性もある程度区分している。そのあたりは人にもよるだろうが、一応理性を働かせて使い分けていると思う。

 しかし、我々日常の知的欲求を満たすメディアが「ないもの」を「ある」としたり、「嘘」を「本当」だとしたりする「デマや捏造の報道」を平気で拡散している場合はこちらも平気で受け取ってしまうことになるから恐ろしい。特に、NHK等のテレビや朝日新聞等の主要なメディアが実際にそれをやっていることに気付いたから怖いと思うのである。勿論、当然にほかのメディアも同じような過ちをしているだろう。

 始末が悪いのは、大々的に報じたニュースに過ちが判明したときには反省や謝罪が過少すぎて、間違いだったことからいつの間にか逃げていることだろう。

 

 例えば1997年6月27日発生の「松本サリン事件」はトンデモナイ大間違い報道だった。以下、エンサイクロペディアを参考に記す。

 第一通報者の河野義之氏が家に薬品があったため連日重要参考人取調べを受けていた。被疑者不詳であると警察がしているのに、河野氏を容疑者扱いするマスコミによる報道が過熱の一途を辿る。 

 その後9月頃になって、『松本サリン事件に関する一考察』という怪文書が、マスコミや警察関係者を中心に出回っていく。この文書は冒頭で「サリン事件は、オウムである」と言及するなど、一連の犯行がオウム真理教の犯行であることを示唆したものであった。

 翌1995年3月に地下鉄サリン事件が発生し、ほどなく公証人役場事務長逮捕監禁致死事件でオウム真理教に対する強制捜査が実施された。その過程でオウム真理教幹部は、松本サリン事件がオウム真理教の犯行であることを自供した。

( もしも、その後に上記のごとく地下鉄サリン事件をオーム真理教が起こさなかったら河野義之氏の運命はどうなっていたか・・・・。)

 「この事件は、警察のずさんな捜査や、一方的な取調べ、さらにそれら警察の発表を踏まえた偏見を含んだ報道により、無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件・報道被害事件でもある。」

と結論している。

 ひょっとしてStap事件においても、単なる論文のミスだったのに研究成果捏造の主犯扱いに公然とされている小保方晴子氏こそは河野義之氏に同等の状況かもしれない。

 そして、「この事件は、理研のずさんな調査や、一方的な取調べ、さらにそれら理研の発表を踏まえた偏見を含んだ報道により、無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件・報道被害事件でもある。」

と結論付けることになりかねない事態になってきそうである。

 これまでの時系列的な事実関係を丹念に検討した「和モガ」氏の論証に反論する余地はないのではないか。ES細胞混入などと言う嘘は通用しないからだ。

 無神経なスクープ競争のマスメディアが、デマや捏造の報道を平気で拡散しているのは現在も続いているのではないかと、常に疑いの目で物事を見ていく必要がある。

 その場合でも、いつでも信頼の基準となるのがNHKではないだろうか。

 NHKには絶対に不正な報道をしてもらいたくない。このStap事件もすでにNHKが間違った報道をしたことは明らかになってきている。

 「調査報告 STAP細胞 不正の深層」はいかにも突貫工事でドキュメンタリーにまとめたに違いない。プロなのに事実関係の裏付けが甘すぎて、整合していない。

 NHKのドキュメンタリーのファンとしても大いなる失望であった。

 NHKにはスクープでなく「事実と真実」を真剣に追及して報道してもらわなければ信頼できる報道は一切失われてしまう危機感がある。

 日本国民はその信頼を願って、NHK視聴料を支払ってきたのではないか。その信頼が最近は薄れつつある。

 今こそNHKには間違いに気づけば直ちに訂正し、その反省を踏まえて再発防止を徹底してもらいたい。特に事実と真実を真面目に追及する人材育成と仕組みづくりと風土醸成に努めてもらいたい。