Stap事件ー「再現性」について(=チャンピオンデータを再現する初期ステップ )

Stap細胞作製のプロトコルを小保方氏等が作成して公表したものの、再現性が得られていないという問題をどう世間は捕えているのだろうか? 

 

昨年9月に、Stap細胞が再現できないことが尤もらしい記事になっていた。

“米ハーバード大の研究グループなどが「STAP細胞は再現できなかった」とする論文を24日付英科学誌ネイチャー(電子版)に発表した。同時に理化学研究所も「STAP細胞はES(胚性幹)細胞が混入したものだった」と昨年の検証実験の結果をまとめた論文を発表した。”

STAP細胞論文の共著者チャールズ・バカンティ教授のグループなどは、以前に公表されたSTAP細胞の作成法に基づいて実験を行ったが、STAP細胞は得られなかったという。他のグループも様々な条件で試み、計133回の実験を行ったが、すべて失敗に終わった。” 等と、ネイチャー誌は論説記事の中で、「多くの研究者が参加した結果、STAP細胞は再現できないことが分かった」と結論づけた。

 

そう結論することは至極当然のことのように思うがStap細胞が無かったとしてしまうのは言い過ぎだった。

恐れ多くも生物化学の未知の領域において発見された現象が、易々と誰でもが簡単に再現できるのであれば、むしろそれほど不可思議なことは無い。驚異的過ぎる話だ。

小保方氏が発見したとするこのStap細胞は極めて難度の高いものだと考えておく必要がある。ウサイン・ボルトの100メートル世界記録みたいなものだ。チャンピオンデータが示されたと考えなければならない。しかし、ボルトにとっては左程難しいことではないのではあることも念頭に置く必要がある。

 

さて、「再現性」という言葉について、

コトバンクを見ると、知恵蔵2015の解説、デジタル大辞泉の解説、栄養・生化学辞典の解説、日本大百科全書の解説が記載されている。

この中で比較的素人分かりする解説を抜き出すと、デジタル大辞泉の解説の1番に

「科学実験などにおいて、所定の条件や手順の下で、同じ事象が繰り返し起こったり、観察されたりすること」

と書かれている。なるほどそうかと思う。

つまり、同一条件を確保して、同等の作業をして得た結果がいつでも同等になると理解するのが一般的な解釈だろう。

例えば、中学校の科学実験で、酸とアルカリの中和の実験をするときに、それぞれの溶液の濃度が分かっていれば、中和する定量比を計算できて、その通り実際に混ぜ合せれば中和する再現性は失敗なくやれば100%再現することを知る。

ところが、数学でサイコロを使った確率の実験もやるが、生徒全員が1回目にサイコロを振って出た目を、2回目に再現させる生徒は6人のうち1人程度であるはずだが、この実験は繰り返しやらせることによって6人のうち1人の確率で再現する証明ができることも知る。

学校で学んだような科学的な実験は出るべくして出る答えが用意されたものだったとはいえ、「同等条件下で同等作業をすると必ず1回で狙い通り再現する事象もあるし、何回か繰り返しやるうちに再現する事象もある」ということを知っている。

要するに、再現性はある確率に支配されていることを理解しておく必要がある。

宝くじは買わなければ当たらないが、何百回買っても当らないのは自分で、必ず誰かが当選している。それは100%間違っていない。

 

製品メーカーで新製品の研究開発をしている人ならば解る話だが、ある高性能高品質な新製品を試作できたとしても、他の人が同等のものを再現しようとしても出来ないことがある。更に繰り返し試作段階で設計通りできたとしても、生産段階で設計通りの良品が100個のうち10個などということも経験する。この場合、歩留り10%という。

初期流動生産の場合、歩留りが低すぎて採算の合わない事で技術者は苦労するものである。そして、不良発生原因の様々な分析や実験検討してしっかりとした製造仕様というものを整備し、不良品を削減する活動している。

 

Stap細胞の場合は、製品製造のステップから考えたら、研究開発のチャンピオンサンプルができた段階で、再現性の要因を設計者が整備しなければ、第3者に再現させられないレベルなのだ。小保方氏自身も主要因の条件を定め切れていないかもしれない。

その段階で、世間がワイワイと再現性が無いと騒いでしまった。

 

製品工場であれば、「初期予想の歩留り10%だって。お前そんなもの作れなんて言ってくるなよ。やり直せ。」などと現場から叱られるより、もっと初歩段階なのだ。

そういうことを思った次第である。