Stap事件 ― STAP幹細胞を作った若山氏こそ事件の中心人物だ! 

小保方氏の「あの日」にはnature論文からは分からない重要な研究の経緯が記されている。この経緯の中にStap事件の中心人物が若山照彦氏であることが浮き彫りになる。

 

今一度、この事件に至る経緯を簡単に整理すると、STAP細胞は確かにあったことは小保方氏が示しているが、若山氏の作ったSTAP幹細胞株に問題が潜んでいることが分かるはずである。

順番に見て行こう。

 

小保方晴子氏は早稲田大学大学院博士課程で、アメリカ留学中、ハーバード大学医学大学院のチャールズ・バカンティー教授の胞子様幹細胞(spore-like stem cell)仮説(2001年)に基づいて、独自の技術でOct4陽性細胞を抽出に成功した。

 

小保方氏は彼女自身が発明したOct4陽性スフェア細胞( 後にアニマルカルスを経てSTAP細胞と命名された )の基本的な三胚葉への分化能力などの多能性現象の基本的な研究した。

 

研究成果としてPNAS(Proceedings of the National Academy of Sciences)に論文投稿を進めたが、既存のES細胞やIPS細胞の万能性証明で標準的証明データとしてキメラマウスデータ提示要請に対応できずにリジェクトとなっていた。

 

今後の研究方針を、指導教官の大和雅之、小島宏司、常田総の3人の指導教官が話し合い、理研若山照彦氏にキメラマウス作製実験を協力依頼することに決まった。

 

こうして、理化学研究所CDBのPI若山照彦氏との共同研究が始まる。この時、小保方氏は26歳、まだ博士課程の学生である。

 

このころは、若山氏からGPSマウスの提供を受けてキメラ実験を協力してもらっているというのが適当だが、既成概念のパンダ状のキメラとは異なったマウスを得ている。

 

「あの日」に書かれた以下のことは大変重要なので記憶にとどめたい。

「2種類の遺伝子情報が1匹のマウス中に存在するというキメラマウスの定義を満たしているものの、既存の多能性幹細胞からできてくるキメラマウスとは見た目の特徴が大きく異なっていた。多能性という既存の定義に当てはめて、このスフェア細胞を見てよいのものかは大きな疑問であり、新たな解釈が必要であると考えられた。」

 

また、効率よくスフェア細胞を取り出すことによって、キメラマウス実験成功率を上げる試みをしている過程で、LIF培地や細いガラス管通過などでの刺激が有効なことから、

「スフェアを形成する細胞はもともと体内に存在するのではなく、ストレス処理によってできてくるという着想」が述べられていて、指導教授たちがその仮説を支持している。

すなわち、Oct4陽性スフェア細胞は刺激によってつくられる基礎事実を発見している。

 

その後、27歳で博士号を取得し博士課程を修了。バカンティー研に所属のままポスドクの身分で理研CDB若山研の客員研究員として共同研究が始まる。

 

その初期ころ、彼女の興味の中心は、多能化を獲得する細胞の変化過程にあった。「あの日」に述べられている彼女の証言を記してみよう。

「通常では、核からの指令によって細胞の運命は決定されていると考えられているが、実は細胞質の中に分化を決定しその状態を安定させる因子が含まれているのではなかろうか」

「幹細胞化は細胞質の減少が鍵なのではないか」

「この時に浮かんだ細胞質を操作して幹細胞化するというアイデアにわたしは強く引き付けられていた」

「細胞質の中でも特に着目していたのはミトコンドリアと呼ばれる細胞小器官だった」

「Oct4陽性になった細胞は元の体細胞に比べてミトコンドリアの量が少なかった」

「こうしてストレス処理後の体細胞のOct4陽性細胞への変化家庭のメカニズムに迫ることは、私にとって一番の興味対象となった」

等と彼女の手技で作り出すOct4陽性スフェア細胞がなぜできるのかの科学的要因解明と制御の手段を研究しようとしていた。

その発想を培養系と生体内系の両面でのアプローチを進めて行こうとしていた。

そこには彼女の独自の工夫も記載されている。

その中で、培養系におけるライブセルイメージング実験データは紛れもないOct4陽性スフェア細胞、後に命名されたSTAP細胞の実証データである。後に揶揄されている緑に光る死滅する細胞の自家蛍光とは確実に区別できる工夫の下で実験されている。

そこには画期的な発見があったことを「あの日」に記述している。

「・・・細胞分裂をすることなく細胞が小さくなり緑に光りだす現象を捉えることができたことだった。ips細胞の作成過程では、細胞のエピジェネティクスの解除は、培養中の細胞分裂過程で起こることが報告されている。つまり、体細胞の初期化のためには細胞分裂が必要と考えられている。しかし、ここで見られている現象は、細胞分裂を必要とせずに細胞の初期化が起こっていることを示唆していた」

小保方氏は単にキメラマウスによる従来の万能細胞証明に準ずる現象確認よりも、細胞初期化の新たな仮説を裏付ける、「ストレス処理後に起こる細胞の変化過程」に強い興味があったのである。

 

くどいようだが、以上の流れを要約する。

彼女の著書「あの日」を読まなければ、私達は小保方氏の研究の核心が分からなかった。

小保方氏が、彼女の独創性を発揮してたどり着いた独自の成体細胞の初期化機構に関する全く新しい概念とその実証物であるスフェア細胞の存在を提示した事実こそが最重要点である。そして、その多能性獲得するまでのメカニズム解明に彼女の研究は進むはずであった。彼女の立場はここにあったことを明記すべきである。 

 

一方で若山照彦氏は小保方氏とは全然違って、実利的なテーマを構想していた。

つまり、キメラマウス作製の証明とともに、新たな無限増殖可能な多能性幹細胞作製をして、ips細胞に対抗できる万能細胞実用化の野望を構想していた。

したがって、若山氏は小保方氏の要望には応えつつ、小保方氏から効率良くOct4陽性細胞の提供をさせ、彼独自のやり方で所謂STAP幹細胞株化の技術確立を急ピッチで進めて行ったのである。

この若山氏の幹細胞化の技術には、小保方氏の積極的なかかわりは無い。

単に若山氏から渡され指示されたOct4陽性細胞を手交することや、実験物の解析などを指示されて協力する役割だけだった。彼女だけには胚操作技術を若山氏から決して教えてもらえなかったので若山氏の実験には関われなかったのである。

「・・・後にSTAP細胞と名付けられる細胞の存在の証明が、キメラマウス作製の成功、もしくは増殖する細胞であるSTAP幹細胞への変化であるなら「STAP細胞の作製の成功・存在の証明」は常に若山先生がいなければなしえないものになっていった」

と表現している。

そして若山氏はその筋書き通りに、小保方氏のOct4陽性スフェア細胞(STAP細胞として)を活用して、独自にSTAP幹細胞株の樹立を達成し、キメラマウスや光る胎盤形成などの多能性証明を達成した。そして、若山氏は幹細胞化の特許申請を積極的に進めていく。即ち、若山氏は小保方氏の研究を側面から援助したと云うよりも、STAP細胞の実用化に向けての技術開発を若山氏が主体的に着々と進めていったのである。

 

この時期に、小保方氏のスフェア細胞の性質に関する論文はネーチャー、セル、サイエンスに投稿したが全て不採択だった。それとは別に若山氏の指示により、(小保方氏自身は技術的に再現できない)幹細胞株化の論文作成も進めることとなる。若山氏は若山研の論文の書き方を指導していた。

 

だが、次第に若山氏色の強くなったSTAP細胞の実用化研究において、ポスドクとしての小保方氏には何ら権力が無く、PI若山氏の権力は絶対で、彼の指令の下での研究では自分のやりたい「スフェア細胞の変化過程」を調べることができないと判断して、アメリカのバカンティー研に戻ろうと一度は決心したのだった。

 

しかし、理研が小保方氏をそのままにしてはおかなかった。理研CDB副センター長の西川伸一氏からPI(Principal investigators;研究室主宰者)ユニットリーダー応募を促され合格、2013年3月理化学研究所CDBのユニットリーダーとして小保方氏が着任し、若山氏は山梨大学へ移って行った。

 

この段階で、笹井芳樹氏が登場し(理研のメンツにかけて)STAP論文作成指導に当たる。

勿論、この力の入れ方から明らかなように、政府が新設を目指す「特定国立研究開発法人」の指定を受ける目玉としてSTAP細胞研究成果を披露する企みがあったからに他ならない。

これほど理研が積極的なったのは、若山氏の幹細胞株化の技術が特許として理研から出願されていたという背景があったからだった。

 

ここで初めてOct4陽性スフェア細胞は若山研時代のアニマルカルスの呼称を改めて刺激惹起性多能性獲得細胞、所謂STAP細胞(Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cells])と命名された。また、若山氏の発明した増殖する幹細胞はSTAP幹細胞と命名された。

 

そして、ついにNature論文2報を完成させ、2014.年1月30日に開示されたのである。それに先立つ2014年1月28日に、事前に大々的に成果発表の記者会見となり、以後の事態となったことは言うまでもない。

 

ここまで述べたことから、小保方氏は刺激によって細胞が初期化していく変化過程の研究を進めていたということ、これに対して若山氏は幹細胞株化して応用する技術確立を進めていたことは明白である

 

理研が小保方氏から体裁よく奪ったSTAP:研究プロジェクトは、些細な論文騒動から捏造疑惑によって、醜い終止符を打つが、その決定打は下記のとおりである。 

即ち、桂調査委員会が「STAP細胞ES細胞の混入」と結論し、「STAP細胞はほぼないと断言」した根拠は若山氏のSTAP幹細胞の解析によってもたらされたことによってである。

 

このES細胞混入疑惑の鍵を握っているのは若山氏以外には無いのである。

 

小保方氏には論文の記載上の不備の反省点はあるが、ES細胞を使って研究成果を捏造する動機は皆無である。

若山氏が選別し指定したマウスからOct4陽性細胞を作る小保方氏には過失の入り込む確率は比べ物にならないくらい小さいことは明らかだろう。しかも、毎回手渡すOct4陽性細胞は胚操作する際に若山氏に確認されていることも肝心なポイントである。

 

一方、胚操作技術によってSTAP幹細胞株を確立し、キメラマウスを作り、光る胎盤を作った若山氏こそが、STAP幹細胞がES細胞だったと結論された原因を明らかにすべきことなのである。過失にしても故意にしても、マウス管理や胚操作の作業や作業する技術スタッフの作業等の要因が沢山ある。

 

まして、若山照彦山梨大学教授は、理研CDB時代に、

  1. STAP幹細胞株化の技術確立に独自の手法で成功し、特許申請まで行った
  2. ポスドクの客員研究員の小保方氏の上司であった
  3. 小保方氏にSTAP:研究用(Oct4陽性スフェア細胞作製用)のマウスを提供した
  4. 小保方氏に論文作成を指示し、論文作成指導もした

等、研究者であり管理者であり指導者でもあった人物である。

 

若山氏に改めて説明責任を追及したい。

Stap事件を風化させてはならない。