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Stap事件 ― “めしうま"な話題ですか?

 

Studio POPPO公式ブログ「ぽっぽブログ」に心理学的な分かりやすい解説がある。

Stap細胞発見"がノーベル賞級の科学トピックスであっただけではなく、その発見者が初々しく可愛いらしい女性で、特に多くのリケジョをはじめ日本の女性からは羨望の眼差しで称賛されたに違いない。

それがゆえに、その後の論文の粗探しに便乗して、正に絶好の“めしうま”なStap事件へと話題が炎上して行ったのは、心理学的に至極当然な結果だったといえそうだ。

この“めしうま"な話題の拡散を熱心に行ったのは主に女性記者や女性科学ライター達の活躍が目につく。その代表が須田桃子記者だろう。大宅賞までもらったのだから、こんなに美味しい事件はなかったのではなかろうか。

特に、Stap事件の印象は記者会見をするたびに、質問が小保方氏に関することに集中し、女性記者または科学ライターの執拗な追及がなされ、小保方氏の粗探しによって小保方氏は未熟で、常識知らずで、自己顕示欲が強く、嘘つきであるなどの印象を拡散していった。

小保方氏のノートと小学生のノートを比較したりする記事まであった。

弁護士が研究不正反証の肝心な部分のネズミの手書きの絵が、その意図とはかけ離れて美味しい話題となった。小保方氏はいい加減な研究者として軽い扱いをしても良い根拠が得られたからである。

こうなってくると、大衆週刊誌やスポーツ紙そしてネット上で小保方氏の科学とは全く無関係な卑猥な人間関係や勝手気ままな想像が面白おかしく情報が行きかうことになる。学術的な世界とは無関係な人格批判に根ざした不正の人物のレッテルを貼って楽しむことに至るのである。

こうして、Stap事件は、心理学的に極自然に、人間の本能を思いっきり刺激して“めしうま"な話題を日本中に提供することになってしまった。

そして、こうした大騒ぎによって、文科省や、ここぞとばかりの競合勢力などからの理研への批判が強まり、STAP:細胞研究の早期終結とCDBの解体や研究倫理の強化対策が急務とならざるを得ない状態になるわけで、恐らく、突飛なSTAP細胞など無いというストーリーで早期決着をつける決断がトップダウンで行なわれ信頼回復が画策されたことは想像に難くないだろう。

それ故に笹井氏は大きな責任の重圧の中で自殺という羽目になり、小保方氏はまるで囚人のごとくのあり得ない監視下での再現実験で無理やり再現性を実証できずにギブアップしたとの極論に誘導された形になったと思われる。また、若山氏はSTAP:研究放棄し、自己矛盾する話題を振りまき、小保方氏に話題集中させて遁走した。

理研は本来の学術的な観点で、STAP論文の再現性や真実の究明を行うことなく、国立研究開発法人化の体裁だけを整備していかざるを得ない事態だったのではなかろうか。

また、小保方氏の博士号剥奪に関る早稲田大学の世相重視のトップ判断があったが、“めしうま"迎合的無能さの印象がぬぐえない。

 

学術研究の論文発表はやはり学会で粛々と行われるべきものだろうと思うのである。

理研が派手なパーフォーマンスで記者会見を行い、論文成果を大々的に発表したことによって、全く門外漢な大衆までも巻き込むのは大失敗だった。

また、論文著者や理研の学者が記者会見で論評するなどは、百害あって一利なしだったというべきである。

大した疑義でなくても心理学的に“めしうま"な話題にどんどん引き込まれていく危険性をStap事件から大いに学ぶべきであろう。まともな議論などできる事態にはならなくなってしまう。

特に先端的な学術専門分野の仔細な話題はどれだけ説明しようと専門外や素人に理解されない事を前提にしておかなければ、“めしうま"を求めることしかない人々に苦しむだけである。

 

“他人の不幸は蜜の味

“めしうま"を楽しんでいる様々な輩が現代のネット社会に住みついている。

今も好き放題に話題を交わしている。