Stap事件 ― 「晒し首」にし『地獄の底』まで!= 現代日本の世相

情緒豊かな京都三条河原町

しかし、嘗ては大罪人の晒し首の場所として有名であった。平将門、石田光成、千利休近藤勇などが晒し首にされた場所である。

晒し首の意味はというと、「罪を犯して打ち首になった人の首を、民衆の前に晒して罪状を説明し、二度とまねをする人が出ないようにと人々に知らしめることだった」のである。

こんなことは現代では有り得ない。法治国家である我が国において、重罪であっても裁判を経て刑務所にて罪を償い、例え死刑になっても晒し首は有り得ない。

但し、生産工場では品質管理手法として不良とその原因や対策を周知徹底するという意味の用語の「晒し首」は残ってはいる。

http://consul-navi.tmng.co.jp/tie/detail3/detail04.html 

しかし、考えてみると、「民衆の前に姿を晒して、二度とまねをする人が出ないようにと人々に知らしめる」ことはマスメディアによってなされ、晒し者にされた対象人物をとことん甚振る(いたぶる)行為は堂々と日常茶飯事になされているのに気づく。 

そうした原因の根幹は高度に発達した情報化社会と表現の自由を保障する日本国憲法第21条に関わる。

特に新聞・雑誌及びテレビは民衆に普及した情報源として、情報化社会の屋台骨ともいえる。

此処に面白いデータがある。

国単位の価値観を中長期的に定点観測の形で調査報告している【World Values Survey(世界価値観調査)】から、「主要国における新聞・雑誌やテレビ(要はマスコミ)に対する信頼度」を示すグラフがある。

http://www.garbagenews.net/archives/1102258.html

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我が国の雑誌や新聞の信頼度もテレビに対する信頼度が高い、つまりマスコミの情報を我が国の民衆は信頼していることが明白である。

したがって、当然のごとくマスコミ情報はほぼそのまま民衆の常識となる。

テレビはニュース報道を一斉に報じるばかりでなく、様々な放送局のワイドショー番組で評論家やコメンテーターの話を交えながら、話題を拡散する。

例えその情報が根も葉もないものだとしても、日本人の多くは無批判で結論だけを信用する可能性が高い。

その情報を基にインターネットを通じた双方向コミュニティを活用して、広く、深くかつまた執拗に、SNS、ブログ、意見欄などの手段によって様々な人達が言論を自由に発信できてしまう。

このような情報網によって、丁度レンズで太陽光を一点に集光するように、一方的な批判やバッシングが個人に集中するのは驚異というほかないのである。

そして、民衆監視のもとに個人の全てを曝け出させようとする、独特の欲望を醸成することになっていく。

例えば、最近話題の雑誌の売り上げ最優先のため、中学生の「人を不幸にして楽しいのか?」は二の次の週刊文春のスクープ報道と言えば、大抵の人は2~3人は思い浮かべるだろう。

標的となった人のほとんどは世間に知られないようにこっそりとルール違反をしていた芸能人やプロスポーツマンやら政治家たちである。

スクープ報道後、彼らは身の置き場もなく、晒されて、突かれまくり、執拗に根掘り葉掘り再三再四、新聞、雑誌そしてテレビで報道され、ネットで話題となり、容赦なく甚振られていた。

彼等は法によって裁かれる以前に、法治国家の国民が国民総出で執拗に集団リンチされ晒し首にされたのである。。

正に小保方氏は一瞬にして有名人とされ、粗探しされ、この飛んでもない情報化社会の罠に嵌められたと言えよう。

一旦はノーベル賞級ともてはやされるほどの細胞初期化の新概念のSTAP細胞の発見に対して、いとも簡単に捏造疑惑のレッテルを貼って、マスコミを動員して、世相をつくりだし、小保方氏という1個人を晒し首にした。

そのために、小保方氏は博士号剥奪、失職そして療養生活の状態に追いやられたが、今でも過酷な晒し首状態は継続している。

この2年半の間、彼女がどれほど苦痛の日々を送ってきたことだろうか?

彼女のために、一体誰が何の被害を受けたというのか?

法治国家のわが国が小保方氏を一体どんな罪で、どれほどの量刑を課すというのだろうか?

報道の自由言論の自由憲法に保障されるからといって、1個人に法治国家が罪状を問い、裁断する以前にマスメディアと民衆とによって「晒し首」にし『地獄の底』まで送り込む「現代の世相」は甚だ釈然としない。

一方で、個人情報保護法は高度情報化社会における個人のプライバシーの危機回避のためにできたものだが、ひとたびマスメディアのターゲットとなると全く個人情報どころか個人の生命すらも保証されかねないほどの取材や監視や尾行等の行為は勿論の事、あらぬ噂の拡散や、誹謗中傷がまかり通っている。

個人情報保護理念とは相反して、「言論の暴力」によって「一個人の健康や生活の破壊」が行わる常態を迎合する風潮は何とも許し難くも歯痒くて遣る瀬無さを感じずにはいられない。

高度情報化の現代の日本国は法治国家として、マスメディアの個人情報の暴露の仕方に踏み込み、法の裁きを下す以前に情報化社会において起こる「晒し首」的集団リンチの事態にメスを入れてもらいたいものである。!!