Stap事件 ― 「小保方氏の研究姿勢」と「ES細胞による捏造」は結びつかない

小保方晴子著「あの日」に書かれた彼女の研究姿勢に焦点を絞ってみる。

小保方氏の「あの日」の「第三章 スフェア細胞」「第四章 アニマル カルス」に彼女の研究姿勢が興味深く書かれている。

 

小保方氏は若山研の研究員の協力によって、ストレス処理後の細胞のライブセルイメージング実験を実行する。

これは、「脾臓中に含まれる、もともとバラバラのリンパ球にストレスを与えOct4陽性細胞に変化していくまでの過程を追う実験系を考え、少しずつ実験を進めていた」中での最も重要な実験だ。

このライブセルイメージング実験で、緑と赤のフィルターで、死細胞の自家発光とOct4陽性細胞のGFP緑色蛍光をしっかりと識別している。

この実験によって、iPSでの体細胞の初期化は培養中の細胞分裂過程に起こるのに対して、スフェア細胞(STAP細胞)は細胞分裂を必要としない初期化”が起こっている可能性を彼女は発見している。

iPS細胞作成過程の初期化とは全く異なる、スフェア細胞独特の初期化メカニズム究明に彼女の研究意欲は根強い。

彼女は「ストレス処理後に起こる細胞の変化過程に対する私の興味はさらに強まった」と表現している。

もともと「ストレス処理後に起こる細胞の変化過程」が彼女の目指す研究のテーマであったし、ノウホワイの科学者らしいテーマである。

 

小保方氏は、バカンティー研に留学中にスポアライクステムセルの研究から得たOct4陽性を示すスフェアの発生メカニズムの仮説証明を課題にしていた。

その仮説とはOct4陽性細胞は生体内にそのままの状態で存在しているのではなく、培養している過程で細胞に変化が起こりOct4陽性細胞になった」というものである。

これを機に、彼女は、細胞に様々なストレス処理後における細胞の挙動の観察を通して興味深い思索をし続けていた。

実験結果を素直に眺め、現象の因果関係をキャラクタリゼーションし続ける姿勢が実に興味深い。

2011年3月11日の東日本大震災の影響で、小保方氏はポスドクとして予定していた米国行を変更して、若山研で実験することになる。そして、Oct4-GFPマウスを使って、緑色に光るOct4陽性スフェア作製のストレス条件を検討した。

その結果、(細胞膜が損傷しやすいストレスとして)細いガラス管の中を通すストレス、浸透圧をかけるストレス、ストレプトリジンOという薬剤に晒すストレスかけた時に、細胞に熱をかけるストレスや低栄養の培地中で培養し飢餓状態に対するストレスに比べてOct4陽性の小さな細胞ができてくる割合が多いことに気づいた。

小保方氏の気づいたことは、

  1. 幹細胞は共通して細胞質が小さいこと
  2. 幹細胞になる細胞は、細胞膜が損傷する

であり、細胞質が外に漏れだすために細胞が小さくなるのではないだろうか等を推定する。

ここで、彼女は大胆なアイディアを発想する。

エピジェネティクスで変化が起きた核内を操作して幹細胞化する技術は近く開発されるような予感がしたが、この時に浮かんだ細胞質を操作して幹細胞化するというアイディアに私は強く引き付けられていた。」

「通常では、核からの指令によって細胞の運命は決定されていると考えられているが、実は細胞質の中の分化を決定しその状態を安定させる因子が含まれているのではないだろうか。」

そして、既知研究成果の「繊維芽細胞の細胞質をT細胞の細胞質に入れ替えると、その細胞はT細胞の性質を示すようになる」という事実が自己の仮説を補佐しているとした。

こうして、(核内を操作する従来の方法ではなく)細胞質を操作して幹細胞化する」という着想に至っている。

更に、細胞質の構成要素のミトコンドリアに注目し、多能性幹細胞と体細胞のミトコンドリアの質と量の違いがあることから、スフェアのOct4陽性細胞と元の体細胞のミトコンドリアを実際に比較観察して、Oct4陽性細胞のミトコンドリア数が大きく減っていることを確認し、活性酸素量、ストレス耐性に関与する遺伝子の発現量、DNA修復に関与する遺伝子の発現量も比較実験した。

そして、元の体細胞ばかりでなくES細胞等既成の多能性幹細胞とは異なるミトコンドリアの性質がスフェアOct4陽性細胞にはあるらしいことまで調べ上げている

そのうえで、「ストレス処理後の体細胞のOct4陽性細胞への変化過程のメカニズムに迫ることは、私にとって一番の興味対象となった」としたのである。

 

こうした小保方氏は柔軟な発想と研究姿勢を発揮して、2011年10月頃、Oct4陽性細胞塊作製の良好な条件としてATPに細胞を晒すストレス条件を見つけている。

若山氏も「うん、ちゃんと光っているね」と言ったとする条件ができ、若山氏のキメラマウス作製実験に力が入ることとなったと記している。また、若山氏の助言で新生児マウス(赤ちゃんマウス)を細胞塊作製に使用してOct4陽性細胞塊の頻度の向上が図られたようだ。その原因についても彼女は思いを馳せ、細胞の真理に興味を深めている。

 

 

一方、若山氏は小保方氏の研究方針とは全く異なっていた。

「Oct4陽性細胞という多能性を示す細胞が採取できるならば、キメラマウス作製こそが最重要なデータであり、iPS細胞のような(無限に増殖できる)幹細胞ができるかもしれない可能性を追うことを目的とすべきだ」と小保方氏に話したと記されている。

それは最早、小保方氏への助言というより、また研究協力者の立場を越えて、若山氏自身の研究テーマ設定にしてしまった感がある。事実、小保方氏には胚操作技術など全く教えなかった点は注目のポイントである。

細胞の心理追求に興味を示す基礎研究志向の小保方氏に対して、若山氏はiPS細胞に対抗する万能細胞実用化の最適なテーマとして功名心を掻き立てられていたに違いない表現が記されている。

そして、若山氏は小保方氏にOct4陽性細胞塊を供給させる役割と論文作成を担わせて、若山氏と若山研研究員がキメラマウスを作り、幹細胞株を樹立していくことになる。

かなり強引とも受け取れる若山氏の進め方は「第五章 思いとかけ離れていく研究」なる表題に小保方氏の気持ちが如実に表現されていることは、上記の経過からして明白である。

小保方氏は幹細胞株化は若山氏の研究であり、本来の自分の研究ではないという意識を強く思っていた。

そして、ついに「2012年10月、私は若山先生のもとを離れアメリカに帰る決心をした」と記している。

 

しかしながら、理研CDB副センター長の西川氏からPIのユニットリーダーに応募要請に応じたことが小保方氏の悲劇になったといってもよいだろう。

この時点で、若山氏の幹細胞株樹立は理研が知った上での小保方氏採用だったことは明らかで、新万能細胞として「STAP細胞」を理研の成果物として国内外にアピールして理研の評価を高めることが主眼だったはずだ。

そこには当然、内外の組織、団体間あるいは個人の様々な利害関係が絡む問題が渦巻いていたと思われる。

小保方氏の研究姿勢に見られる純真な思いから想像もつかない、ES細胞混入疑惑の主人公にされていったことは、彼女の研究の一貫性からは極度にかけ離れた邪推としか思えない。 

あの時、アメリカに戻って自分の研究方針に従って研究すべきだったのではないだろうか。

今頃、「ストレス処理後の体細胞のOct4陽性細胞への変化過程のメカニズム」の研究を進め、研究者として実績を積んでいたに違いない小保方氏が目に浮かびそうである。

 

小保方氏による「ES細胞による捏造」などと疑う輩やそれに同調する輩は異常な人間としか思えない。