Stap事件 ― 米本昌平氏(科学史家・東京大学客員教授)の御尤もな論評!

 2015年4月、読売テクノ・フォーラムに掲載した米本昌平氏の「STAP細胞事件を論評する」という記事があった。

読売テクノ・フォーラムhttp://yomiuri-techno.jp/pastcolumn/column-2015-0401.html

 その記事をそのままを同調しはしないが、共感すべき重要な科学に対する問題意識と主張がスカッと単刀直入に表現されている部分を掲載する。

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『今回の事態を一段高い視点から総括してみると、日本には本格的な意味での“科学評論”がないという重大な欠落部分があることである。科学研究の外にあって、研究者と同等の立場から、その意義や内容について踏み込んで論評を加える活動である。ちょうど文学に対する大学文学部に相当するような知的活動である。
 そのような立場から、STAP細胞事件について三つ指摘しておこう。


 第一に科学研究には賭けの部分があり、それに失敗した研究者をあたかも犯罪者のような責任追及をすべきではないことである。研究の世界はとくに激しい競争社会であり、当然、勇み足やスキャンダルが生じてしまう。海外の研究管理の体制を見渡すと、それらはみなスキャンダルが発端になっている。根底にある課題のすべてを明らかにして、バランスのとれた対応策を考え出すのが先進国であり、これができないのは発展途上国である。


  第二に研究の自由の原則は絶対に守られるべきである。つまり社会の側は、税金が使われているという理由だけで過度に研究活動に介入しないことである。今回、文部科学大臣が、善意からとはいえ、STAP細胞の検証実験の方法についてあれこれ注文をつけた。これについて、研究の自由に対する政治介入の恐れがある、と諌める声がなかったのは問題である。


 第三にSTAP細胞の是非については、生命観に関わる対立があることである。今回、日本分子生物学会はとくに厳しい声明を出したが、その前提には、細胞の振る舞いは分子の次元で説明されてはじめて科学であるという信念がある。一方、発生学は伝統的に、生化学的な説明は現象の一面しかつかんでいないと考える傾向がある。だから分子生物学者はSTAP細胞を完全なインチキとみなし、発生学者はそれでも何か未知の現象を含んでいるかも知れない、と考えるのである。
 科学における失敗は貴重な財産であり、次のアイデアを汲み取るべき宝の山である。冷静な評価と分析が必要である。 』

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※米本 昌平氏は、日本の思想家。東京大学先端科学技術研究センター特任教授、総合研究大学院大学教授。専門は、科学史・科学論、生命倫理、地球環境問題。1946年生れ。 ウィキペディア

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