Stap事件-若山氏の「特殊な手技」が記載されなかったSTAP論文

 

Stap事件は2014年に理研が起こした事件である。

その元となったのは下記2つのネーチャー論文の研究不正問題だった。

  1. Obokata, H.; Wakayama, T.; Sasai, Y.; Kojima, K.; Vacanti, M. P.; Niwa, H.; Yamato, M.; Vacanti, C. A. (2014-07-02). “Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency”. Nature 505: 641-647.
  2. Obokata, H.; Sasai, Y.; Niwa, H.; Kadota, M.; Andrabi, M.; Takata, N.; Tokoro, M.; Terashita, Y.; Yonemura, S.; Vacanti, C. A.; Wakayama, T. (2014-07-02). “Bidirectional developmental potential in reprogrammed cells with acquired pluripotency”. Nature 505: 676-680.

 

以下①はアーティクル論文、②はレター論文そして合わせてSTAP論文と表記する。

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私のStap事件の現時点での解釈を述べる。

小保方氏の手記「あの日」で注目すべき証言がある。

若山氏が小保方氏に伝えたものの具体的内容を教えなかった「特殊な手技」という言葉が明確に書かれている個所がある。

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(「あの日」p91)

ある日いつも通りスフェアを(若山氏に)渡すと、「これまではスフェアをバラバラの細胞にしてから初期胚に注入していたが、今日からはマイクロナイフで切って小さくした細胞塊を初期胚に注入してキメラマウスを作ることにした」とおっしゃった。それから10日後、若山先生からキメラができたと連絡を受けた。その上、残りの細胞をES細胞樹立用の培養液で培養したらES細胞の様に増えだしたと報告された。毎日、スフェア細胞を培養し観察していた私は、細胞が増える気配すら感じたことがなかったので大変驚いた。「特殊な手技」を使って作製しているから、僕がいなければなかなか再現がとれないよ。世界はなかなか追いついてこられないはず」と若山先生は笑顔で話していた。

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更に引き続き、(論文で定義されるような)STAP細胞の存在は若山氏にしか証明できないものだと証言している。

 

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(「あの日」p91-92)

後にSTAP細胞と名付けられる細胞の存在の証明が、キメラマウス作製の成功、もしくは増殖する細胞であるSTAP幹細胞への変化であるなら、「STAP細胞の作製の成功・存在の証明」は常に若山先生がいなければなしえないものになっていった。

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つまり、若山氏の「特殊な手技」が肝心のネーチャー論文に明記できていないことの証言とも言える。

 

小保方氏が研究してきた物理化学的刺激によって生じるOct4陽性スフェア細胞の実験は正しいし、そして若山氏が小保方氏の作ったOct4陽性スフェア細胞から「特殊な手技」で作ったキメラマウスや幹細胞株化の実験も正しく行われたのではないかと思う。

 

STAP論文は、若山氏抜きで、笹井氏と小保方氏によって完成された。

ところが、小保方氏も笹井氏も「特殊な手技」を知らないから、ネーチャー論文中の若山氏の実験データ記載内容に「特殊な手技」が表現されないまま、笹井氏の論文技術によって何故か受理されてしまったのがSTAP論文だった。

そのことに気づくのは若山氏しかいない。

当然のことながら、STAP論文通りのトレースでは再現できない論文であることに若山氏は愕然としただろう。

この論文を是とするなら、その責任の全ては若山氏が被り研究者生命を奪われる破目に陥ってしまう。

だから、どんな手を使ってでも若山氏は率先してSTAP論文を撤回しなければならなかった。

 

何故そんなことになったのかは、

若山氏が「特殊な手技」を小保方氏に教えていなかったし、小保方氏が徹底して「特殊な手技」の教えを乞うべき重要事項だったのに、「特殊な手技」を抜きにしてネーチャー論文をまとめたことで重大な齟齬が生じたからである。

小保方氏が理研の若山研客員時代に若山氏の指導下で「アニマルカルス論文」に挑戦していた時に、幹細胞株化の論文化の宿題を与えられたが、それは若山研での宿題であった。若山氏はまさか「特殊な手技」を小保方氏が習得せずに去っていくとは考えていなかっただろう。

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(「あの日」p92)

「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」

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ところが、「特殊な手技」を知らないにもかかわらず、若山研から離れ、理研CDBのRULに採用されて、そこでその宿題を彼女がSTAP論文に盛り込むとは若山氏は思っていなかっただろう。

一方、笹井氏は小保方氏のOct4陽性スフェア細胞の生成は正しく確認できていたが、若山氏のキメラマウス作製や幹細胞株化は「世界の若山」を信頼していたし、小保方氏の説明も当然理解した内容と思い、若山氏から直接の確証を得ずに論文を仕上げたと思われる。

 

結局、後に丹羽仁史氏の論文などで証明されている小保方氏パートに付加された「若山氏パート」のテータは再現するべくもない論文だった と言える。

因みに、STAP論文に記載され、表現されたような「STAP細胞」や「STAP現象」は当然のことながら無い と言う他はないのである。

 

しかしながら、「若山氏パート」正しく実験され若山氏にとっては有意義な研究だったのではないかと思う。

例えばそれはOct4スフェア細胞を活用したntES細胞の研究だったかもしれない。

 

 

 

 

最後に、上記の考察に至った背景3ポイントを下記に示す。

 

ポイント1

2014年1月29日、STAP論文に関する成果をマスコミを通して大々的発表したのは、理研

 

(着眼点) 当時理研は国立研究開発法人化に向けて、画期的研究成果の事例としてSTAP論文を誇示したかった。

1月30日にネーチャー論文が掲載されると間もなくインターネットを通して論文の不正が指摘され、マスコミや様々な情報社会で炎上、瞬く間に科学コミュニティーから理研の責任問題に発展した。

理研文科省や国会のテコ入れもあって、旧CDBの解体等の組織改革や不正防止対策等を含め、2014年末までに、STAP細胞研究問題を決着し研究撤退。

 

 

ポイント2

STAP論文をネーチャー誌に掲載手続きしたのは理研の笹井氏と小保方氏。

執筆したのは、細胞リプログラミング研究ユニットリーダー(RUL)小保方氏。

タイトルを命名し構成や文章を指導したのは、発生・再生科学総合研究センター(CDB)副センター長の笹井氏。

最も理研が欲しかった記載内容、すなわち若山氏だけが「特殊な手技」で成功したキメラマウスや幹細胞株化データを小保方氏と笹井氏が論文に記載したのは安易だった。後に再現性が取れない条件が記載された可能性が高い。

 

(着眼点) 2012年、当時CDB副センター長の西川伸一氏からCDBのRUL応募打診を受け採用面接を12月に受け 2013年3月1日小保方氏はRULとなり、STAP論文を仕上げることが初仕事となる。この分野の世界的研究者の笹井氏が全面的に指導し、丹羽仁史チームリーダーもメンターに加わる等、理研がそれほど重要視し成果を取り込もうとしていた。この時、若山照彦氏は山梨大学へ異動し、論文作成にはほとんど関わっていない。

結局、笹井氏の卓抜した論文技術で12月には念願のネイチャー論文(万能細胞の作製法が中心のアーティクル論文と、幹細胞株化が中心のレター論文)が受理された。

 

 

ポイント3

STAP論文の元データ

アーティクル論文: 小保方氏パートと若山氏パートのデータ (STAP細胞の生成方法と多能性データ)

レター論文   : 若山氏のデータ (STAP細胞に自己複製増殖能を付与する幹細胞株化と多能性データ)

若山氏パートのデータは若山氏の「特殊な手技」で得られたが、小保方氏はそれを笹井氏にきちんと伝えていなかったに違いない。

 

(着眼点) 2008年から ハーバード大学医学大学院教授チャールズ・バカンティの指導の元、胞子様細胞(spore-like cells)研究を発展させる実験方法を工夫して物理化学的な刺激で三胚葉への分化能をもつスフェア細胞を発見、ティッシュ‐論文で発表し、それを基にした博士論文「三胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索」で2011年2月博士号を取得した。

その論文の研究を更に進めるため、小保方氏は2011年4月から当時CDBゲノムリプログラミング研究チームの客員研究員となったが、当時そのチームリーダーの若山氏主導によって、小保方氏のパートではOct4陽性スフェア細胞の生成現象データの蓄積、若山氏のパートではOct4陽性スフェア細胞から、若山氏のオリジナルな「特殊な手技」によってしかできないキメラマウスや無限増殖する幹細胞株のデータの蓄積の中で、小保方氏と一緒に研究活動することを予定していた。若山氏は山梨大に小保方氏を誘ったが、小保方氏は理研のRULとなった。

そのために若山氏から指示されていた「幹細胞株化の論文」が宙に浮いていた。

小保方氏のOct4陽性スフェア細胞に若山氏が「特殊な手技」を加えて達成したキメラマウス幹細胞株樹立のノウハウは小保方氏が若山研に所属を前提に教えるつもりだったはずだ。