Stap事件-若山氏の「特殊な手技」が記載されなかったSTAP論文 ④

思い出してみよう!! 

小保方氏がキメラマウス作製の胚操作の教えを求めた時、

「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかへ行っちゃうかもしれないから、ヤダ」

と言った若山氏が如何に小保方氏を必要としていたか、冗談ポイこの言葉は意味深である。

若山研の小保方氏になった時に、若山氏は胚操作を含めて全てのノウハウ(特殊な手技)を伝えるつもりだったということではないだろうか。

ところが、若山氏の思いに反して、小保方氏は理研に取られ、笹井氏の下で(特殊な手技抜きで) 仕上げた論文が何とnature誌にアクセブトされてしまった

若山氏にとっては厄介な事態になった

これでは再現できないことは分かっているからである。

論文上の矛盾や疑惑が発覚したの機に、最も注目されるキメラマウスや幹細胞株化の再現を要求される前に、若山氏は率先して論文撤回工作に走ることになったのではなかろうか。 

 

その辺の経緯を考えてみよう。

2014年2月28日にSTAP論文の成果は理研の実績として大々的にお披露目したが、本当にそれは理研の成果だっただろうか。

STAP論文の研究主体者は間違いなく小保方晴子氏である。

そしてその論文記載対象の研究活動は小保方氏が正式な理研職員になる以前である。

当時の彼女の研究活動拠点は米ハーバード大のバカンティ研(チャールズ・バカンティ教授)で、留学生として、更に引き続き所属のポスドクとして活動していた。

バカンティ仮説の芽胞様幹細胞(スポアライクステムセル)研究からの発展的研究活動の流れの中で、小保方氏が発見した物理的化学的刺激で体細胞が3胚葉分化能をもつようになるOct4陽性スフェア細胞塊(論文のSTAP細胞に相当)のキメラ形成能を見極める実験が要求されていた。

しかし、バカンティ研では実験ができないために、キメラマウス作製のエキスパートで当時の理研CDBゲノム・リプログラミングチーム(若山研)の若山照彦チームリーダーの協力を留学生時代から得ていて、バカンティ研から出張費を貰いながら、2011年4月から2013年2月まで若山研に客員研究員として派遣されていた。

小保方氏の上記の研究期間に、若山氏はスフェア細胞から独自に特殊な手技でキメラマウス作製に成功し、STAP幹細胞株とFI幹細胞株を樹立し2012年8月に幹細胞株化の特許申請手続きをしている。

また、小保方氏はnature、cell、scienceといった主要誌に、Oct4陽性スフェア細胞作製からキメラマウス形成までの研究論文を投稿し悉く却下され、scienceからも2012年8月に却下されていた。

そこで、(既に若山氏は山梨大へポスドクの小保方氏を助教として迎えたい意向を熱心に小保方氏に伝えていたというが、それを前提に考えての事だろう)若山氏は彼が樹立した幹細胞株化論文作成を小保方氏に指示しており、小保方氏のスフェア細胞論文と幹細胞株化論文の2報の同時投稿の提案をしたと「あの日」に書かれている。

しかし、この若山提案に対してバカンティ研の強硬な反対があったため、今後の研究の方向性を相談するために2012年10月にアメリカに小保方氏は出向いたが、実は小保方氏は若山氏の幹細胞株化の実験補助を止めてバカンティ研に帰って研究しようと考えていた。

ところが、この時点理研の利権のネタへと小保方氏とその研究成果は利用されていくことになるのだが、それが大変な事態に繋がって行く。

2012年3月西川伸一CDB副センター長にTCR再構成解析の助言を得た後、iPS細胞との比較優位性に言及した小保方氏の研究内容は竹市雅俊センター長や松崎文雄GD知るところとなり、画期的な幹細胞研究として注目の的となっていた。

新PI公募の2012年11月、特に幹細胞研究者の募集を掲げていたことから、西川副センター長が直に小保方氏にCDBのユニットリーダー応募を勧誘、小保方氏はバカンティ教授の了解を得て応募し、2012年12月21日内定した。 

小保方氏は内定の翌日から、竹市センター長から指導要請を受けた笹井芳樹GDの指導の下でnature誌への論文投稿が理研正職員として最初の仕事になる。

ここで重要なことは、小保方氏はバカンティ研の2報同時投稿の反対の件をすっかり忘れていたかのような振る舞いだ。

また、そうだとしても小保方氏は未だに若山氏からノウハウを教授されておらず、自身で再現しようとして再現できない幹細胞株化の論文を執筆すべきでないし、少なくとも筆頭著者になるべきではなかったと思うのである。

しかし、小保方氏は2報同時投稿の若山提案を笹井氏に伝えると、その通りに論文作成が進められることになった。

そして笹井氏は小保方氏と一対一で小保方氏のデータベースや情報を基にアーティクルとレターの2報を仕上げていった。

若山氏としては彼自身の指導下で2報同時投稿を予定だったのに、小保方氏が理研RULに応募し採用されるとともに笹井氏指導の下で2報同時投稿とは全くの想定外な出来事だったということになる。 

こうして、理研は小保方氏を取り込み、いわゆるSTAP論文articleとletterは理研の笹井氏の絶妙のテクニックによってnature誌にアクセブトされ、理研主催で新万能細胞のSTAP細胞があたかも理研の成果として発表された。

f:id:ryobu-0123:20180225014030j:plain

ここで若山氏の立場から今一度俯瞰するとさもありなむと思うのである。

2012年4月1日、若山氏は山梨大学に生命環境学部を新設するにあたり、多額の費用をかけて新設された附属ライフサイエンス実験施設を施設長として研究室に使用できるという破格の待遇を条件に山梨大学に移籍している。

(若山氏は後に山梨大学生命環境学部生命工学科教授兼発生工学研究センターのセンター長)

当時、その重責を背負った若山氏は今後の研究構想を当然のことながら練っていたと思うのである。

その重要なテーマの一つが、小保方氏と彼女のスフェア細胞の有効活用であり、クローン技術の権威として、スフェア細胞の核移植した幹細胞株化とその応用研究を重要テーマとして想い描いていたことは想像に難くない。

それは、小保方氏の幼弱なスフェア細胞からはキメラマウスが何度トライしてもES細胞同様の手法ではできないことを知った若山氏が、独自に「特殊な手技」でスフェア細胞の核移植したクローン胚の活用の見通しを得たからではないだろうか。

それまではバカンティ研の小保方氏への実験協力だったが、自らに51%の特許権利の配分をしたように、その時からは若山氏は幹細胞株化は独自の成果として発展させようと考えていたことが窺われる。

したがって、若山氏の新たな構想展開のために、小保方氏を山梨大学の若山研に是が非でも迎え入れたい思いで、「助教のポジションを用意しているから、一緒に来てほしい」と熱心に誘っていたのである。

ところが、そうした若山氏の構想は上記に述べたように思わぬ形で裏切られ、若山氏のノウハウを表現しなければ再現できないキメラマウスや幹細胞株化を盛り込んだSTAP論文がnature 誌にアクセプトされてしまったという事だろう。